感銘を受けた詩 「時は今」 

5年以上前に何かのセミナーの締めくくりでこの詩が引用されて初めて目にしました。

BGMと相まって胸にこみ上げてくるものがあり目頭が熱くなった覚えがあります。

しかし人間は忘れっぽいもの。忘れないために、身近に置いておくために、ここ記します。

 

『時は今』

お前はろくでなしか・・・・・・いつになったらやるんだ。

いったい、何が起きなきゃならないのだ。
そのために、家族が死ななければならないのか。
会社がつぶれなくてはならないのか・・・・
ガンの宣告を受けなければならないのか。

学校を出れば・・・
いい職に付けば・・・
結婚したら・・・
子供ができたら・・・
金ができれば・・・
運がめぐってきたら・・・

・・・そういって、一体何年経ったんだ。
そのうちそのうちと、延ばし延ばしでいったい何年生きてきたんだ。
時は今しかないじゃないか。

未だかって、明日の朝、
顔を洗ったことのある奴は一人もいないじゃないか。

人は皆、自分の人生を考えることを延ばして、
周囲の事ばかり気にかけて
そして・・・批判をしている環境評論家ばかりじゃないか。
それを・・・周囲の人と調和しているだと、
トンチンカンな事を言っているんじゃないのか。
それを・・・人のためといって自分をごまかしているんじゃないのか。
色々と言い訳をいって・・・環境に埋没してはいないか。

お前はいったい、いつになったら自分の人生を生き始めるのだ。

人のせいにする時は過ぎた。環境のせいだからといって、
それでお前の一生が不満に塗りたくられて、
それで終わりでいいのか。
親のせいにして、不満足な自分で一生を過ごすのか。

何かのせいにする時は過ぎた。
過去はないのだ。お前が勝手に思い出しているだけではないか。
不満を改善するために・・・自分をより成長させるために
今、この時が与えられているのだ。

過去の妄想を忘れ、素晴らしい未来のために今を生きようではないか。
それをするのは他でもない。お前なのだ。

その時は『今』しかないのだよ。

昭和51年10月7日 村松智文(知守文)

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